表紙>はじめに>講演内容>質疑応答>反響に対して>資料請求先 3.【講演後の反響に対して】 6/8 【ハードSFファンの気質】 講演時には端折ってしまったが、私のコンタクト・ジャパン(CJ)やSFへの違和感は、なぜ『パラサイト・イヴ』の擬人化(?)は受け入れられないのに、CJで宇宙人の振りをすることには寛容なのかという疑問とつながっていた(講演時に使ったメモを「2.講演スライド」のスライド 11 の下部、 47 ページに示した) 。 これに関して野尻抱介氏は、SFオンラインの記事で「ハードSFファンの気質」という項目を立てて説明を試みている。まず野尻氏は次のように指摘する。
そのうえで野尻氏は、ハードSFファンの目から『パラサイト・イヴ』がどのように映るかを解説する。『パラサイト・イヴ』のモンスターは、価値観やメンタリティが人間と大差ない。またミトコンドリアまわりの描写は精緻だが、生命・情報の総合システムとして多くの疑問が放置されており、設定の整合性の面でもよい点はつけられない(イヴは自在に変形合体したが、エネルギー収支や情報伝達のメカニズムはとくに説明されていない) 。以上の点を踏まえて野尻氏は、 「イヴを異星人として見た場合、異質さ&合理的なメカニズムという二大チェックポイントを外している」 と述べている。 だが、すでに講演のスライドで示したように、これは物語における因果関係の原理基準の問題なのである。ハードSFファンが求める原理基準は、必ずしも普遍性のあるものではないように思える。野尻氏のいう 「合理的に設定され (た) 異 質な存在」 というものが、私にはよくわからない。一部のハードSFファンが共通して面白がれる設定処理が守られているかどうかの違いだけではないのか。 「異星人」という抽象的な存在ではなく、この地球上に棲む動物たち、例えばチンパンジーやイルカに敷衍してみた場合も、 上記の論は有効なのか。やはり合理的に「知性」を「設定」すれば、人間が演じることに違和感を覚えないのだろうか。 残念ながら野尻氏は推奨するハードSF作品を提示していないので、どのような設定が好ましいのか私にはわからない。野尻氏は 「ハードSFファンに好まれる作品を書くなら、そのツボ、彼らのこだわりを共有すべきだろう」 と述べているが、これはもとより一般論になりえない。ここにディスコミュニケーションの本質が隠されているような気がする。だが続けて野尻氏はいう。
実際のところ、非常に漠として、しかも難しい注文である。どうやって見極めればよいのか。宇宙SFが好きな人をハードSFファンだと思えばよいのか。また、なぜハードSFファンの声が大きいのかも疑問である。 「普通のSFファン」は「ハードSFファン」のことをどのように見ているのだろうか。両者はあまりコミュニケーションがないのだろうか。 なお、ウェブアンケート( Serial:49 )で指摘されたチャールズ・シェフィールド『マッカンドルー航宙記』 ( 創元SF文庫)に、ハードSFに対する作家側および評論家側からの意見が掲載されている。 (さらに同書には、 「今日の(中略)理論に基づくちゃんとした科学と、 (中略)物語のためにでっちあげた“科学”とを区別して書いてある」と断り書きをして、科学解説の「付録」が著者自身の手によって書かれ掲載されている) 。 橋元淳一郎氏の「解説」には、 「科学性」と「ハード性」を区別する考え方なども紹介されている。ここまでくると私にはもう理解しにくい領域で、あまり意味ある議論とも思えず、深く考える気にはなれない。ただ、作者や橋元氏が作品中に描かれる科学を手際よく解説しているのを見ると、SFでこのような物理・数学方面の解説者の人材が豊富なことが羨ましく思った。バイオサイエンスをきちんと、しかもわかりやすく解説できる人材が、いまのSF界には不足しているように思う。前述した野田令子氏がほとんど唯一だろうが、博士号を取得したての若い研究者であり、全体を見通しつつバランスよく解説する能力はまだまだ発展途上のようだ(それに、いまはご自身の専門分野に近い分子進化学・遺伝学しか解説できないようである) 。今後の活躍に期待したい。 いまのところ、ハードSFといえば物理・数学分野に限られてしまうイメージが強い。さまざまな分野の研究経験者がSFに参入してきて、試行錯誤を繰り返しつつ日本SFがもっとバラエティに富むようになれば、状況も変わってくるだろう。 |
|