はじめに SFとエンターテインメント小説の未来に向けて


 本資料は、2001年5月3日(木)に全電通労働会館ホールで開催された「SFセミナー2001」にて、瀬名秀明が「『SF』とのファースト・コンタクト -瀬名秀明、SFに対するアンビバレントな思いを語る-」と題して講演した内容をまとめ、日本SF出版の現状と将来を考えるきっかけづくりとなることを願って作成されたものである。

 私はSFとなぜか関わりが多い作家である。『パラサイト・イヴ』は日本ホラー小説大賞の受賞作であったにもかかわらず、SFファンの間で「これはSFだ」「いや、SFではない」という論争が起こった。これはいまも断続的にウェブなどで続けられている。『BRAIN VALLEY』を刊行したときは、角川書店が用意したウェブの宣伝ページで大きなSF論争が起こってしまった。もちろん好意的なSFファンも大勢いたが、一部の強い批判は当時の私にとってショックだった。単なる批判ではない。ときには義憤に駆られたような、こちらが怯えてしまうほどの強い怒りなのである。そのような批判に何度も接して戸惑い、それほど彼らを傷つけてしまうのなら『パラサイト・イヴ』を絶版にしたい、と版元に申し入れたこともある(当然、これは受け入れられなかった)。
 子供の頃、私は自分がSFファンなのだと思っていた。藤子不二雄両氏や眉村卓氏をはじめとする日本のSF作品を楽しんだ。小説を書くようになったきっかけのひとつは、明らかにSFなのである。だが、いつの間にか私はSFがわからなくなり、SFとコミュニケーションができなくなっていたように思う。『BRAIN VALLEY』では日本SF大賞をいただいたが、自分から堂々とSF作家であることを名乗ることはできず、歯切れの悪い「受賞のことば」を書かなければならなかった。
 SFやSFファンに対して恐怖心が募ったことは、結果的に私の作家活動を大きく変化させたと思う。実際、科学ノンフィクションに力を入れるようになったのも、やはりどうにかしてSFや科学と折り合いを付けたいという気持ちが後押ししたからだと思っている。私はおそらく、今後二度と『パラサイト・イヴ』のような小説を書くことはないだろう。
 『八月の博物館』を書き終えたいま、ようやくSFの呪縛から少しずつ自由になりつつあるように感じているが、それでも恐怖心はまだ完全に払拭されていない。なぜ自分はSFファンとうまくコミュニケーションができないのか。なぜ自分の作品は一部のSFファンから強い怒りや批判を受けてしまうのか。その理由を知りたい、とずっと思っていた。

 もうひとつ、心に引っかかっていたことがある。
 よく、「SF小説は売れない」「SF冬の時代」といわれる。実際、作家や編集者のなかにも、SFを売れないジャンルだと思っている方は多い。だが本当にSFは売れないのだろうか。もしそれが本当なのだとしたら、なぜ売れないのか、あるいは売れているのだとしたらなぜそのような言説がまかり通っているのか、これらを一度しっかり調べてみたいと思っていた。
 私はノンジャンル・エンターテインメントを目指しているが、一方ではミステリーやホラー、SFといったジャンル小説を愛している。多数のジャンル小説が豊かな作品を次々と送り出し、読者の基盤をつくることによって、はじめてノンジャンル・エンターテインメントは成立するのだと思っている。微力ながらジャンル小説の再建と見直しに協力したいと思った。それが日本のエンターテインメント小説を盛り立ててゆくことにつながればいい。作家は小説を書いて出版界を盛り立てれば充分である、という意見もあるだろう。それはそれで正論だと思うが、誰かがこのようなことをきちんとやる必要があると感じている。そして誰もやらないのなら、私がやろうと思ったのだ。

 SFセミナーとは、「SFファン有志が運営し、SF界内外より様々なゲストを招いて開催する講演/パネルディスカッション形式のコンベンション」である。SFファン有志のボランティアによって運営されており、その歴史は古く、第1回は1978年に神戸で執りおこなわれた。その後1980年からは東京に場所を移して、ほぼ毎年開始されている。近年の参加者は約200名。また同日の夜から翌朝にかけて夜の部(合宿)もおこなわれている。SF大会、京都フェスティバルと並ぶ、SFの三大イベントのひとつといっていい。(SFセミナーについての詳細は、ホームページhttp://www.sfseminar.org/を参照のこと。また、当日のプログラムブックのコピーを末尾の「参考資料」に収録した)
 数年前から私はSFセミナーへのお誘いを受けていたが、ずっとお断りしていたのである。だが今回、上記のような思いを一度どこかでまとめておきたいと考え、講演のご依頼を快諾することにした。そしてよい機会なので、多くの読者からSF観を伺い、また一線で活躍されている文芸編集者からSFの現状と将来をインタビュー取材したいと思った。
 私がSFファンのコンベンションに参加するのは、これが初めてのことである。

 ウェブでアンケート調査にご協力いただいた方は 70名を超えた。またお忙しいなかインタビューや電話取材、あるいは書面回答に快く応じてくださった編集者は、12社31名にのぼった。講演後は、SFセミナー夜の部で「瀬名秀明先生のSFに対するアンビバレントな思いを聞いて」という企画が催され、プロ作家・評論家・読者を交えた活発な議論が繰り広げられた。またセミナー終了後は、参加者がウェブ日記・ウェブ掲示板等で今回の講演内容についての感想や意見を掲載してくださった。心から御礼を申し上げる。これらの議論は、必ずSF出版の未来をよい方向に変えてゆくと信じている。

 本資料は、SFファンだけでなく、文芸出版に関わる方々にもぜひお読みいただきたいと思っている。意見をぶつけ合い、よりよい方向を探ることは、文芸出版・文芸評論の活性化につながる。これはSFだけの問題ではない。従って本資料は、基本的に無料で広く一般に配布するつもりである。ウェブ環境を持つ方はPDF文書形式でダウンロードできるよう整備し、またその環境を持ち合わせない方のために、ハードコピーによる冊子を作成する。PDF文書の作成費や冊子の印刷費はすべて瀬名の個人費によって賄われる。

 本資料では、SF出版隆盛のためのアイデアも提示した。もしこれにご賛同いただける方は、ぜひお声掛けいただければ幸いである。

 最後になったが、このような有益なディスカッションの機会を与えてくださったSFセミナースタッフの皆様、そしてSFファンの皆様に心から感謝する。
 ありがとうございました。

2001年6月
瀬名秀明


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